縄文からニューヨークに続く「いのち」

    20196月の朝、アメリカで一番高いビルとなった新しい“One  World”の展望台に私は立っている。ここからニューヨークの街が目下に一望できる。抽象絵画を学びたいと23歳でNYにやってきた私の過去が、いっぱいNYの街に詰まっている。過去を振り返らない。新しく前に進めというのがNY流。

 「NYに超新しいものができたぞ」と大声をあげている処があった。それは、ミッドタウンの西端にあるハドソン・ヤードと呼ばれている新名所の中にあった。そこには出来たばかりの奇抜なデザインの建物が建ち並び、その中央広場にあるのが、ザ・ベッセル(壷という意味)という名の巨大オブジェだ。それは底から上に末広がりに空に向かって立つ巨大な壷の形をしたもの。周囲は鉄骨が六角形の窓のような穴を作り、ぐるぐると廻りながら空に向かって建つ。鉄骨は階段となり歩いて上に登っていくとNYの街が望める。ただ、それだけ。建物でも彫刻でもない。天に向かって広がるスタイルのこの巨大な壷、「ザ・ベッセル」は水をためる容器でもない。しかし、天まで延びていきそうな大きな存在感に私は未来に生きる「いのち」を感じた。久し振りに感動した。

 「いのち」に感動したといえば、日本の縄文土器の火焔土器の存在感のある造形が浮かんだ。壷を這うようにして、めらめら燃えて天に昇っていく豪華な火焔に飾られた5000年も前に作られた土器。私が若い時、この火焔土器を見たとき赤くめらめら燃えるエネルギーに満ちた「いのち」を感じた。この時が強く「いのち」を実感した時だ。そして今、目の前に見るこの高い巨大なオブジェのザ・ベッセルに過去に見た縄文の壷が重なった。

 そしてぐるっと展望台を廻った所に「自由の女神」がハドソン川の中に立っているのが見えた。NYにも女神がいた。

次は縄文の女神について。縄文時代の人々はいつも天と地の間で、美しくも苛酷でもある自然と向き合って生きていたから、どんな時もいのちと向き合って生きていたにちがいない。だから身体にいのちを持つ妊婦は美しく女神として崇められた。

その後、世界の博物館で見た太古の女神土偶はどれも腹部も胸も腰も大きく豊かに作られていた。そんな溢れ出ているいのちをスケッチして歩いた。その中で、私が最も感動したいのちを身体に宿した女神土偶は「縄文のビーナス」である。それは長野の古い博物館のガラスのケースの中に大切に守られて飾られていた。顔に仮面を付け、帽子をかぶり、小さい体で腰は大きく腹部がつき出ている妊婦像で、柔らかく優しい体は美しく、いとおしい「いのち」が透けて見える。私はこの土偶にくぎづけになった。

いのちを作り、生み、育てる女性を女神とした縄文人の素晴らしさ。「太古、女性は太陽であった」のだ。

いのちは目に見えないけど、形にして見たい。色をつけてみたい。どんな絵になるだろう。ぞくぞくしてきた。いのちを絵に描いてみたい。「いのち」を目に見えるように、形や色で表現してみたい。

その時から「いのち」は私の絵の主題となった。

2014年に百歳で逝った母を「百歳まで生きた母は女神になった」と題して母のいのちを号のキャンバスに何十枚も描いた。

 そして今度20196月、縄文の壷「火焔土器」が持つ焔のように燃える強烈ないのちと同じく未来に向けて輝くいのちを持つ「ザ・ベッセル」そして「自由の女神」をNYで見て、今、私のいのちも燃えている。まだまだ、どんどん美しい「いのち」が描けるような気がしている。


2019
6

坂井 眞理子