「古茂田杏子さんの紹介」
古茂田杏子さんの銅版画の線は美しい。繰り返し描いて磨いて、すっかり我が物にした丹精込めた描線です。選び抜いた女性の顎の線が顔を形づくる時の速度まで感じてしまう、というか。見る者の気持ちを、描く者の緊張した瞬間に引きずり込むみずみずしい体験が共有できます。何枚も作品を見ると、その線は大抵1本で、あたかも胸やのどや首と思われるあたりから始めて、肌に沿って這い登っているように感じます。途中でさまざまに曲線の接触や溶け込むような線の合流も当然、肉塊の肌の世界を行くのですから、寄り添うようにしては離れて、いつしか豊満なもち肌の量感に変貌する線の極楽図なのです。標準の背丈から大首絵、あるいは3頭身あたりのサイズに白くしなやかな手足と指がひらひらと舞い、この愛らしさが無表情な倶梨伽羅紋々の男性の手際で揉み療治されていたりして…、大きくないエッチングの作品に近寄って見る。
ところで相方の男性ですが、痩せぎすの体躯には使い古しの線描が、惜しみながら使われているかのような、渋みが感じられてならない。写実的な性格の線の表情で無言を決め込んでいる。古茂田さんは、腺病質な男性は描いても、デブは描かない。職人仕事や細工師のような、使い込んで無駄のない筋肉質な男性の体には体毛がブラシさながらの固さと整然とした方向性と秩序を与えられて、剃りあげた、というより禿げた頭もトレードマークで浮世絵の線描に接近した女性の肌の描写とのバランスがとてもで、憎らしいほどの発明なのです。街の色男の出番が見当たりません。いや、たまに混ぜてあるようですが・・・。この抑制と持続を表看板にした男性の役どころは、ときに女々しく、ときに意外な筋力で、ふくらはぎや足指や手の、その指使いと足と腰との熟練した姿勢が要求されますから、これはまるで昆虫標本から抜き取った、まだ虫ピン付きの男伊達。わたしは昆虫図鑑のオサムシ科やゾウムシ科を開いて、どれかをあてがう気分になる。横位置の昆虫側面図なんかもあるといいのですが、ありません。役柄を得て男性は部屋の隅や物陰から姿を見せて、そろりと近寄り、立ち止まり、しっかりしがみついたりして悪い虫となる。硬い身振りや仕草の男性は2,3の例外を除いて、銅版画のポーカーフェイスです。
大正7年生まれの父古茂田守介さんは新制作派の画家で、昭和35年42歳で他界。3歳年下の母美津子さんは制作を断念したがのちに再起して画家となり、平成19年85歳で他界。このご両親のもとに生まれ育った杏子さんは15歳で失った父の薫陶を受けただろうか。
「絶対絵描きにはなるな」と言い渡されたにもかかわらず娘は絵筆を握った!ともに制作していた母はなんと言っていたろうか。ともあれ、今回もまた、この画室的家庭環境に育ったエピソードが聞けるし、父母の画稿や作品も並んだ静かな時を堪能できるに違いありません。
だが、どうして、このような賢母の稼業の、描く仕事ならぬ隠し事や痴態を空想したのだろうか。じっと身じろぎせずに絵画に対峙していた筈の父を、痴漢もどきの秘術に長けた男性に仕立てる天啓は、どのような時を境に降って沸いたのだろうか。実に妬ましいのである。が、本当は、ただの市井の、イメージの男女で、杏子さんのご両親などではない。銅版に次々と浮き出てきた幻を採取したのです。詮索はともかくとして、もう一つ忘れずに付加えるのは、人形芝居や糸あやつり人形を取り込んだ趣向でこのモチーフは表情を失った女性像が珍しいのです。少しぞっとする哀しい闇があって、運命の極まった情景に見えています。うつろな眼差しの娘人形の肢体に、ふと体温をまさぐるような気配が感じられてしまう。幻影なのだとしても、また一つ、銅版画家の心のシンボルを見ることになったような気がする。「この禿の毛むくじゃらな奴は、切ない…と呟きながら、細い手首の固く結んだ荒縄を解こうとしない。どこかの人形の脇の下から腕を差し入れて,胴串をひねり、うなずきを指先で押さえて、顎をのけぞらせる。声もなく開く白い唇の図版・・・」
1995年、古茂田杏子さんから銅版画の個展の案内状を頂いたのに、出かけないでしまった。これをずっと後悔しながら歳月が過ぎました。このたびはまたとない機会が巡ってきたわけで、嬉しい・・・。
かぶらぎ まさや(画家)