「絵画頌」
イメージが変奏していく。
右手にナイフ、左手に血の滴る首を持つ少女(おそらくユーディット)がいる。切り落とされた首は、別の作品ではギリシャ神話の怪物・メデューサへ変わる。そし
て、うねる髪を持つ人物たちが登場し、ヘビにそそのかされ禁断の果実を食べて楽園追を放されたアダムとイブの姿と重ねられる。
今回発表される作品群は、うねる紐状の曲線が主要モティーフとなっている。古典絵画の有名な図像をベースにしているもの、『博物誌』にありそうな怪物やタ
ロットカードの「吊るされた男」を連想させるものなど、曲線を主旋律にイメージが縦横無尽に横断する。人物や動物たちは起伏のある低い台地の上に全身像で
配置され、並べれば全体で一続きの大地に立っているように見えるだろう。中世の祭壇画のように、全体で大きな物語を構成する登場人物のような風格を有して
いる。
もう一つ、今シリーズを特徴づけるのが、大地の上に組み上げられた木枠の存在。細い柱を若干いびつに組み立てたような枠組みが、人物たちの動きを規定し
ているように見える。ヘビの大群は、しだいに木枠に絡まり密度を増し、自立した色・曲線として絵画の構成要素に収斂する。
新作に共通する構成要素″紐状の曲線と木枠のような矩形″について考えてみたときに、ふとこの画家と同世代の美術家たちの活動が思い起こされた。たと
えばフランスでは、1968年の5月革命を契機にあらゆる制度的なものへの問い直しが行われ、グループ展〈シュポール/シュルファス〉が開催される。シュポール
はフランス語で〈支持体〉、シュルファスは〈表面〉。絵画を成立させてきた既存の制度を検証し直し、絵画を物質にまで解体、布や紙、木枠やパネルそれ自体が
主役となる作品が生み出された。この運動をけん引したクロード・ヴィアラは鏑木と2歳しか離れていない。ちなみに日本では、共通する問題意識を持っていた美
術家たちが「もの派」と呼ばれた。李禹煥もヴィアラと同い年である。当時は、イメージを描く絵画は流行らないという雰囲気が美術界を席巻していたらしい。それ
でも鏑木昌弥は、一貫して絵画に向かい合ってきた。何を考え、今日まで歩んできたのだろうか。
改めて新作を眺めてみる。作品の背景にはゆるく溶いた絵具が垂れ、薄く下地を見せながら流れる痕跡によって絵画の平面性が強調される。ここで、フラットで
枠組みを強調した画面が「絵画」そのものを象徴し、さらに描かれる〈紐〉が繊維の集合体である画布や画紙のメタファーだと仮定するなら、そこには鏑木昌弥の
絵画考が透けて見えないだろうか?
鏑木の代表作に「背中」だけを大きく描き出したシリーズがある。ストイックに背中をみつめながら、絵画とは何か問いかけるような作品だった。人物の顔が見え
るように正面から全身像で描かれる今展のシリーズは「背中」とは対照的ではあるけれども、じっとみつめているうちに、「背中」同様に絵画を考察し、より雄弁に
絵画を讃えているシリーズになっているように思えてくるのである。
描かれた人物たちは紐に絡まれながらも、みな穏やかな顔をしている。鏑木によると彼らは「喜んでいる」のだという。絡み取られた人物たちは、豊かなイメージ
が沸き起こっては次々と変奏する四角い枠組みの中で至福の時を生きているのかもしれない。すると「絵画考」は、「絵画頌」となって高らかに響きだす。
出品作の中に、ヘビが巣くう大きな柱を背負った男の絵があった。初めてみたときには、ゴルゴダの丘を歩むイエス・キリストにみえたのだが、いまでは不思議
なことに、絵画を背負ってゆっくりと歩みを進める絵描きの姿にみえてくる。しかしそれは即興的なカデンツァのように、観る者の中で自由に響いたイメージの戯れ
だったのかもしれない。
(上山 陽子/美術評論)