石井茂雄展に寄せて
石井茂雄没後42年。かつて人は、社会の愚かしさを糾弾、破壊して新たなる社会の創生を夢見たのかもしれない。現在ではむしろ、愚かな社会の中でいかに生き抜いていくか、が問われている。その間にも、石井茂雄のいう「完全犯罪」への手管は着々と進められてきたに違いない。現代の人間には任せておかれぬ。そう絵が判断したかどうか、作者没してなお完全犯罪を発こうと、遺された絵はおのれをさらして怨霊を宿す。今回展覧会を開催するアートギャラリー環は、94年の春に33回忌記念展を、そして同時に、今もって唯一の作品集である『完全犯罪と芸術』の出版を行った。以後10年を経て2004年春、同ギャラリーにて5回目の個展が行われようとしている。ちまたでの石井茂雄への関心は特に増すこともなく、戦後日本の美術史に小さな足跡を残したまま消えていこうとするばかりだ。夭折の……ともてはやされるには年を取りすぎ、なおかつ絵が不気味に深刻である。だが、年を取り深刻なのは私でありあなたなのだ。
美術業界において、美術何某といった肩書に目鼻口を上書消去されてしまった人々で形成される偏狭なサークルがあるとすれば、美術作家にとってそこは忌むべき場所である。だが多くの場合、自覚することなくそこに属し、作品と呼ばれる不可思議な物体をこねくり回すことさえない人たちの群れ。私は一例としてここで暗に肩書だけで意志のない学芸員を揶揄している。美術館は、美術における完全犯罪組織ではなかろう。ここに展示される数点の作品は、これを最後に美術館に寄贈されていくそうだ。現在、東京都現代美術館で開催中の「再考:近代日本の絵画美意識の形成と展開」には石井茂雄の作品が3点展示されていると聞く。今後はそのようなかたちでまた出会うこともあるだろう。20世紀の50年代、60年代初頭の日本の美術を振り返るとき、「戦後前衛」というくくり方でしばしば彼の作品は登場する。今、85年にイギリスのオックスフォード近代美術館で開催された展覧会「再構成・日本前衛美術の展開1945‐1965」のカタログを見ている。展覧会企画者の一人、海藤和の執筆したテクスト中、石井茂雄は同年齢の河原温と並び評され、60年代のネオ・ダダへ橋渡しの役割を担った重要な存在として紹介されている。日本での無関心を思えば何故?と不思議に思う。「戦後前衛」という区分けの安全地帯に本人は甘んじて安住するだろうか。石井茂雄の絵の、自らの影を欠如した登場人物の、男の顔つきをした女体、不自然な異装・裸体、股間に示された性器、眼差しのない顔、あるいは都市に敷き詰められたパターン、群衆。
詩の同人「荒地」がちょうど同時期に活動していたことをふと思い出す。関西では具体美術協会が活動している頃でもあった。2004年、本展開催により、何か起こるか。
言水ヘリオ(『etc.』 発行人)