闇に触れる(平野充の名も無き「絵」のために)
その絵は、音から始まったらしい。彼の詩集『祈祷書』に、「音をたよりに 遠くここまで来てしまったのだが 流の起点についての記憶はすでになく この領域の遠近について それを取巻く風景についても 何の手懸りもなく ただ空間を叩くのみ …ここに来て なお 見知らぬもの」と、末尾に小さく「絵画」と打たれたひとくさりがある。この詩集の存在も知らず、いや、平野充という名前すら知らぬ私は、一年ほど前にギャラリー環で「その絵」に感じるところあって、お訪ねした。だが、ひと月前のことなのに、この小柄な老人の風貌すら想い出すことができない。その人は、私の物差しでは測り難い恐るべき人、いや存在であった。詩人とも、画家とも、八十六歳の老人というのも憚られる、何者とも言えぬ、何かしら静寂に包まれた動かぬ「もの」、存在であった。仕事場は、小さな居間の、物に埋まったテーブルの隅っこの紙一枚のスペースであった。それは制作のためのスペースというよりは、この頑ななるもの、一つの種子の存在のためにぎりぎり確保せねばならない場所と映った。そこから生み出された、というよりは刈り取られた夥しい数の「絵」が、壁際に山積みになっていた。その一枚一枚の差異に彼は愛着をもたぬようである。タイトルどころか、番号もなく、天地すら気にしないふうである。つまりは、差異そのものということになろう。それらを「作品」と、そしてこの人をたやすく「作家」などと呼ぶことが私には憚られる。
お借りした「詩集」『海の庭』(1992
年刊)は、詩に疎い私には難物であったが、あとがき的に記されたノートで、私は、この人の恐ろしさを少しは理解した。「整地した土地に 突然 雑草が芽を出し そのまま放置すれば 元の荒地に戻る。わたしにとって言葉は予期せぬ雑草であった。雑草は刈り取らねばならない。この雑草を刈り取り一カ所にまとめることで 異常の夏の わたしの整地は終った。ここに まとめたのが その刈り取られた集積である。」「異常の夏」、あの戦争のこと、戦争の傷口から出て来た言葉の集積がその「詩集」だと言うのだが、言葉を刈り取ることが、祝福される収穫とはならず、「整地」、言葉狩りだと言うのである。恐ろしくもあるが、このタブラ・ラサともいえる「整地」作業は、「所有」ならざる「所与」の世界を拒絶する意志の行使でもある。「整地」という言葉で言わんとしたことは、戦争で傷ついた地点から、その苦悩を表現しようとしたものでないこと、その人間社会が負わせた傷から出て来るものを捨て去るための言葉狩りなのだ。何のために?いまだ隠された、いまだ失われていないもののためにであろう。
その絵は、あるアルバイト中の机の上で、当時(1960
年代)の複写機用のカーボン紙であろうか、文字の部分だけ抜かれた使用済みの黒い紙をペン先でつついていた手遊びから生まれたとうかがった。「音をたよりに」と言われたのは、ペン先が紙の向こう側にある机をつつく音ではなかったか。我知らず動いた手先と、机という物のある空間とが触れ合う音が、黒い紙の向こうから聞こえてきたのであろう。「詩集」を読むうちにその「コツコツ」という音は、「骨骨」と骨のぶつかり合う音に聞こえてきた。彼が刈りとった言葉には無数の「骨」が見える。しかし彼は、同時に、黒い紙という闇の向こうから何かが「コツコツ」とノックする音をも聴いていたのでは、「絵」を見ているとそう想えてくる。彼がその向こう側の表面である黒い幕を水を含ませた綿で拭き取ると、そこは「光の暴力」に曝された沙漠に一変したかに見えるが、ペン先が触れた痕跡は闇を湛えた砂粒となって、或は裂け目の溝となって、手に触れた闇が眼に触れるものとなって残った。筆を全く使わないその「絵」は、むしろ「彫刻」、或はインクをつめた凹版の原版に近いが、そうした形式上のことは彼にはどうでもよいことであろう。光のもとでの一切の幻影を拒絶してなお残る闇の真実に迫ることなのだから。彼の仄暗い「絵」を見ていると、「神よ、あなたは偉大です。ただあなたはあまりに暗い」と謳ったリルケの『時祷集』の一節「私が長い夜に戸をたたいてあなたを煩わすとすれば、それはあなたが稀に息をされるのを聴いて、あなたが広間にひとりでおられるのを知るからです。…私はいつでも耳を峙てています。ただちょっと合図をしてください」(尾崎喜八訳)が蘇る。聞くところによれば、彼は、「制作」の時には、アルボ・ペルトを聴いているとのこと。ペルトの音楽の濃密さとはくらべられない掌サイズの世界ではあるが、禁欲的にミニマルでありながら内密なものがある。
ところで、彼の「絵」には二通りの手法があることを言っておかねばならない。それは、当初の複写用紙が手に入らなくなったことから、新たに、水と油の性質を利用した石版画をヒントにしたかと思える手法が考え出されたことによる。糊をひいた紙に水につけたマッチの軸で線を引く。それを紙やすりをあてたアート紙に移し、その上を脱脂綿につけた油絵具で叩くように覆ったあとで、水を含む脱脂綿で拭き取るというものである。この手法による「絵」は、以前の、光と空に晒された沙漠にくらべて、水の介在、否、封印された微かな水(海)の匂いのゆえか、湿潤な、かつ、ペン先に代わる道具のゆえか一層触知的な表面を見せるが、いずれの手法にしても、空間を叩いた触覚の「近さ」の残る、それでいてどこか埋めようのない時空の隔たりを突きつけられる「作品」である。